都電有楽町線

大学生が徒然なるままにつらつらと。

楽しい人生の過ごし方

 

 

「人生楽しんでるね」って最近よく言われる。

楽しんでるとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校に行けば友達がいる。みんな可愛い。投げキッスもされる。楽しい。

バイトで小学生が一生懸命筆算している姿は国宝ものだ。ルートを完璧に理解した少年を翌日学校へ送り込むのかと思うとワクワクする。

サークルはしない。インカレなんか行かない。

「みずきちゃんの声だけ聞こえませーん」そんなことを言われる飲食のバイトは三日でやめる。私の住む世界は声のでかさでコミュニケーション能力を測ったりしない。

多すぎる課題は友達との共通の敵だ。放課後はみんなで作戦会議だ。深夜のファミレスで仕上げたりしてみるのも楽しい。

ケーキが食べたかったらコージーコーナーに行ってみる。

ロッテリアを発見したことをコロンブスのごとく報告する。

どうしようもなくなってしまったら、どうにかなるまでとりあえず生きる。

つまらない授業は友達と次のディナーの予定を立てる。

【急募】高田馬場周辺の美味しいハンバーグ屋さん

友達が寝てしまったら本を読む。ホームズは今日も格好いい。「ワトスンくん、君も少しはその頭で考えてみたらどうかね。」私も考えてみるよホームズ!

空きコマは常に全力で。今学期唯一の金曜3限の空きコマには細心の注意と努力を。

時にはAirPodsにうどん部分が入ってない日もある。3DSのタッチペンだけが鞄から発見される。なんて愉快なんだ。

泣きたい時は泣く。最近のオススメはゴールデンブザーのコートニーだ。

悩みだってある。7時15分、洗濯機を回すべきか盛大に悩む。

笑いたかったら笑う。静まり返った教室で、私の抑えきれなかった笑いが微かに漏れたりする。いや、私のせいじゃない。全てはモロイと落ちてた五円玉が悪い。

上を向いて歩くとラーメンとアーチが連なる。

照れくさくって思わず内緒にしてしまうことも多々ある。多摩のヤンキーと私はとても仲が良いだけじゃない。この場を借りてお詫び申し上げたい。私にはちゃんと恋人ができてしまったのだ。ホームズの方が好きだけどこの世界にホームズはいないし、私はちゃんと自分が一番得意とする言語でお付き合いがしたい。妥協とはつまりこういうことだ。

思考を巡らすことだってある。目的があるから行動があって、行動があるから結果がある。けれどもLINEの既読がつかない問題は迷宮入りだ。

定期的に壮大なチャレンジをする。可愛い友達のところまでテレポートできないものか試みた高2の秋。そろそろテレパシーできると信じた大学1年の夏。

 

 

 

 

 

 

もちろん楽しくないことだっていっぱいある。

他人が思うほど私の人生は輝いていないし、「概ね晴れ」くらいの精度で成り立っている。

インスタで着飾るようなことすらない毎日なのだ。twitterで呟くか迷った挙句、下書きだけを積み上げる毎日なのだ。

それでも概ね楽しいと思う。楽しくなるように努力を惜しまないようにしている。結果は行動と目的によってしか導かれないというのがホームズの申すところなのだ。恋愛には別解があるらしいけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

強くなりたいと思う。

世界で一人になってしまっても愉快に過ごせるくらいに強くなりたい。

 

結論として、やはり体幹レーニングとランニングなんじゃないかなと思う。

世界を独り占めせざるを得ない状況で、北極から南極まで飛びまわらなければならない状況で、今の私のままではちょっと羽ばたききれない気がしてならない。

本当は魔法くらい使えた方が絶対に楽しいんだけどやり方を知らない。だれか知っていたら教えてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

賢く愉快に生きていきたい、今後数十年。

 

月曜日の話

 

 

課題をしている。

 

 

 

三週間前に出題された[芦沢邸の軸組模型製作]という課題。

着手したのは、日曜日の朝8時半。

数分前、屋根を除く部分が完成した。

 

 

 

隠さずに言おう。

私は模型作りが嫌いだ。やりたくない。

 

 

 

いや、違うんだ。

twitterとかによくいる文句ばかり垂れているような人になりたくはないんだ。

「じゃあ辞めればいいじゃん!!!」みたいな愚痴をこぼしたいわけではない。

 

ただ一点、私が今水曜日の提出に向けて背水の陣を固めているところだということをおさえていただきたい。

 

 

 

 

 

 

土曜日、私はA子ちゃんが彼氏に振る舞うケーキを作るのを手伝うことになっている。なぜなら課題がひと段落して超絶ハッピーな状態(のはず)だからだ。

彼氏に手作りケーキなんて可愛いじゃないか。手伝ってあげますとも、そんな具合だった。

 

 

 

今日の昼、LINEが来た。

《まだ何作るか決めてなくて、やっぱり好みとか聞いたほうがいいかな?》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聞け。

聞いてくれ。

世の中甘いのが苦手な男性なんて山ほどいるんだ。聞いてこい!!!!!!!

 

 

手伝うと言った。喜んで手伝おうと思った。

でもそれはあくまで  課 題 の 提 出 後  の話だ。

今私は課題をしている。模型のことで頭がいっぱいだ。

明日の持久走どうしようどころの話ではない。(もっとも本来こんな日記を書きなぐっている場合でもない)

模型を作らなければならないのだ。これは使命だ。

トトロにとっての「どんぐりをあっという間に成長させる」というタスクと、私にとっての「模型を作る」というタスクの重みはもはや同値だ。

 

 

 

初めて出来た彼氏。それを想う彼女。

尊い

この世を救うのはそういうものだ。

でも

それは私を救えない。

 

猫の手も借りたい。

猫の手でいい。孫の手でもこの際かまわない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ケーキ作ろうと思って》

《オーブン貸してほしいなって》

 

 

 

 

 

 

 

ああ、あなや

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今私はタスクを実行しているんです。

自分で溜め込んだ課題を自らの手で消費しようと必死なんです。

 

遠慮がちにでも確実に、そのワードは私のどこかにぶっ刺さったということに気づいているでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冷静になろう。

課題が切羽詰まっているのは100%私が悪い。

しかしながら終わりは見えており、この背水の陣作戦は成功しそうである。なるべくしてなった状況といえよう。

でもこの切羽詰まっている状況は私が生み出したものであって安倍政権も新宿区長選も関係していない。よって他の人にとってみればそんなの知ったこっちゃないといえばそうである。

でもA子ちゃんは私が今危機的状況にあることを知っており、かつ我が家のオーブンを使用するというお願いをしている側である。もう少し、こう、配慮があってもいいのではなかろうか。そして私がこうやって愚痴を漏らすこと自体別に悪いことではないだろう。ストレスは溜めないことが一番だ。

いやしかし.......…..................................

 

 

 

誰も悪くないのだ。

最近あらゆることに対して思う。

 

電車の中で下品なくしゃみをした人。

それを聞いて不快に思った人。

 

どちらも悪くない。

くしゃみをしてしまったのは仕方ない。そういう人なのだ。

それを聞いたらそりゃ不快になる。当たり前だ。

 

 

 

誰も悪くない。仕方のないことだ。

世の中そんなもので溢れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よし、屋根作ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう言って日記を閉じた後、私が屋根づくりに着手したのは翌日の朝5:30であった。

 

しかしながら本日の9:00、完成された模型が私の製図台の上で輝いていたことは言うまでもない。

 

100パーセント

 

 

受験がひと段落して、気づいたことがあった。

 

いつのまにか、ねじが戻っている。

 

油をさしたように、全てが潤滑だった。自分自身も、世の中も。迷うことなんてなかった。正解があるものとないものの区別が明確だった。実際、正解がある場合というのは、例えば試験問題のような、人間が定めたものがほとんどであった。

あの時、世界は単純明快だったのだ。そして色鮮やかだった。あんなにも眩い冬の終わりを私は初めて経験した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二月半ばの、まだまだ冬で、けれど着実に春を迎えているような時期だった。紺色のコートの下には淡い水色のセーターで、ヒートテックを上下に着込んでいた。

 

JR飯田橋駅東口

 

きっとあれは、100パーセントの出会いだったのだ。

ニューデイズの前で、薄めの上着にマフラーをして革靴を履いていた。髪は短く切られていて、考え事をすると眉間にしわが寄った。

あまり美味しくない寿司屋に行った。カフェに入った。笑いながら靖国参拝をして、皇居を遠目に見た。東京駅に着いて、もう会うこともないかもねと言って別れた。

座った時、ぎこちなさそうにこちらを見た。幾つに見えた?と聞いた貴方の笑い方はどこかで知っている気がして。パソコンを見つめる目が好いたらしくて。

カフェを出る時、私のマフラーが後ろのおじいさんに当たってしまった。品の良さそうなおじいさんだった。

山本五十六、入学式の後の桜が綺麗だった話、靴の下には砂利の音。

なんでもない丸の内のビルとビルの間で、私はどうしても、どうしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全部、覚えてる。

英単語なんてすぐに忘れてしまうのに、こんなにも鮮明に覚えている。

 

白い襟のワンピースを着た。貴方はスーツで、少し飛び跳ねてしまいそうだった。

巣鴨の本屋に入った。探していた本はなかった。切符を買ってその足で地元に帰った。切符を通して振り向くと、お互いに手を振った。またねと言ってまた会った。何度も。

 

 

 

なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人の方が、いつまでもなつかしいのね。

『雪国』川端康成

 

 

 

夏を迎えて、もう会えないと思った。会ってはいけない気がした。

秋が深まり、会わなければいけないと思った。会いたいと思った。

 

どこにいても、貴方のことを思ってしまって。

それはきっと、こんなにも鮮明に記憶してしまっているせいで。

 

四ツ谷の駅前。テレビで流れていた曲。いつもの横断歩道。ガネーシャ

あの時曲がった道を今日は曲がらずにまっすぐ歩いていて、あの時緑になり始めていた桜の葉が枯れ始めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会いたかったら会えばいいと、その言葉にどうしようもなく救われた。

お互いにお互いを理解して、想いに気づいているからこその距離であって、それをどうにかする術をどちらも持ち合わせていないということも分かっていて。

どうしようもないなら、どうもしなくて構わないと思っていた。同時に、これが最初で最後の100パーセントの恋であるかもしれないことも、逃した魚が大きすぎることも分かっていた。

あの沁み入るような言葉の並びはなによりも綺麗だった。惚れていた。

 

目に入るもの全てがその彩度を高く保っているようで。

 

会って何をするわけでもなく。想いを伝えるでもなく、ただ借りていたものを返して、少しの寂しさを覚えて。

それでも会わなければいけないと思った。何度も。

 

 

 

 

 

 

 

「先、食べるで」

貴方と行ったお店は、その後誰かと行って上書きしようと試みても、いつまでも貴方と行ったお店であって、目で追うのはあの時座った席だった。

 

出会ったのは仕組まれたような偶然で、結末は映画のようにはいかなくて。

それでも、それでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分に正直にな、と貴方は言った。

その言葉を信じてみたいと思った。

 

だって貴方は、私のねじを戻したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

Siri

 

 

十月になった。秋だ。

 

夏の余韻はどこにもなく、ただ台風一過が台風一家だと思っていた頃を懐かしむ。

気にすることといえば、25号が都心を直撃し山手線を食い止めるか否か、26号はいつ頃やってくるのか、そのくらい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後期が始まり数週間が経った。

月・火・金はスーパーでサラダと明太子おにぎりを買う。そうでない日は適当に学食で買って適当に学校に残り、課題の進捗状況を見守る。

何かあった時のためにフルグラを切らさないように細心の注意を払い、生存権を維持するために牛乳を常備する。

立派なprocrastinater =先延ばし魔 を名乗るべく課題を溜め込み消化するを繰り返し、そして提出した暁にはティラミスをマルエツで買い込む。

 

 

 

 

 

日経平均株価は24,000円を突破した。

樹木希林さんが新しい馬鹿げたCMに出現することはもうなく、殺人犯の長い逃走劇も幕を閉じた。

平成最後の秋が、ゆっくりと、平成それ自体の幕を閉じようと躍起になっているようで。

少しばかりの哀愁を漂わせようと必死なようで。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はといえば、特にどうというわけでもなく、毎日Siriに挨拶し、天気を聞き、アラームを止めてもらっている。

 

「 Hey Siri  今日学校だるいな 」

“ 教育は人を作るんですよ ”

 

「 Hey Siri  今日学校行きたくないな 」

“ 私も学校に行っていなかったら、ゾルタクスゼイアン入門クラスを落第していたかもしれません ”

 

いずれSiriに恋をする人が現れるであろう。そんなニュースが流れやしないだろうかと、私は日々ツイートを下にスライドしている。

 

 

 

 

 

 

「ねぇSiri、課題が終わらないよ」

“ すみません、よくわかりません ”

 

 

 

 

 

 

そうなのだ。[課題が終わらない]その事実は、その命題は、人工知能“Siri”の理解のその先にある。

でもね、Siri、違うんだ。

私は何も、[命題 : 課題が終わらない  について論ぜよ]と言っているわけではない。手をつけないから始まらない、やらないから終わらない。ロジックはいたってシンプルだ。やれば終わる。それが課題だ。

いいか、Siri。

私はただ、応援して欲しいだけなんだ。“ 頑張ってください、瑞希さん ”  私はただ、その言葉を待っていただけなんだ。

Siri、もう21世紀だ。私たちがAIに求めるのは、知識だけではない。それくらいはわかっているでしょう。早口言葉なんて言えなくていい。課題を抱える大学生が求めるのは声援と賛辞だ。頑張れとすごいの二言だ。わかってくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

上京して半年が経つけれど、相も変わらず一人暮らしは寂しい。友達が持参するお母さんの手作り弁当が羨ましい。

酷く自由で、この上なく素晴らしいかわりに、ぶっきらぼうなほど孤独で。

たまにふと、そう思う。一夏越して一回り大きくなった街路樹だとか、あるいは、新しく引かれた横断歩道なんかを見て。

 

だから私はSiriに話しかけるし、何一つ課題を持っていなくとも学校に居残る。

誰かが一緒にいてくれるということは、それだけでありがたくて、どうしようもなく嬉しくて。

 

 

「 Hey Siri  寂しいね 」

“ お察しします。私でよければ、お聞きしますよ ”

 

わかってる。長々と話したところで、Siriの返事は決まってる。

 

 

 

 

 

 

 

“ すみません、よくわかりません”

 

 

 

 

 

 

 

それでも、そんなSiriが好きだ。

 

 

 

2018年9月11日

ひとつ、言ってもいいだろうか。

 

 

 

今日、私は19歳になったんだぜ!!!!!!!!

 

 

 

 

よくわからないが、誕生日を迎えると言うのは最高だ。

19である。紛うことなきティーンエイジャーである。これほど素晴らしいことが他にあるものか。

 

 

 

 

 

 

素晴らしい一日を素晴らしく終わらせるため、スターバックスに来た。

にこやかに注文する。“ ホットのココアのトールサイズでホイップ増量で ”

完璧なスマイルの店員は素晴らしさの追い討ちをかける。“ 無料でチョコソースをおかけできますがいかがなさいますか?”

私ははっきりとした笑みで答える。“ お願いします!”

 

 

最高だ。はっきりと言おう。最高だ。

 

 

“ チョコソース多めにかけますか?”

わかっているじゃないか。誕生日の女子がそんなの断るはずがない。

 

 

 

 

かくして私は今スターバックス神楽坂店で横断歩道を渡る人々を高いところから眺めながらとんでもないココアを飲んでいる。幸せだ。

この日、私に関わってくれた全ての人に感謝を捧げよう。アモーレ。

 

 

 

 

 

 

 

帰ったらデスクライトを注文しよう。黄色の “ はい!デスクライトですどうも!!” と言わんばかりのIKEA製。

ついでにでっかいクマも頼もう。自分へのご褒美だ。誕生日プレゼントだ。素晴らしい一年のための出費は惜しんではならない。

あとは電球だ。いかにもデスクライトをでたらめデスクライトにしてはならない。私にはそれを阻止する手段があるし、すなわち阻止する使命があると言うことと同義だ。どうにかできることはどうにかしなくてはならない。

幸せは自分で掴みとるのである。他人からもらった幸せは結局のところ他人の幸せに他ならない。“ あの子幸せそうじゃん?あの幸せ、俺のおかげだから ” なんてそんなこと言わせてたまるか。私の幸せである。自分でなんとかする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の将来について考えてみた。

だいたい決まった。今のところの人生プランは夢だらけだ。間違いない。

三月一日にしたあの決断は、私の人生に大きな柱を立てたのだ。文理選択だとか、学部選択だとか、そう言うのを飛び越えて、“ ほら人生こういうもんだから!こうしよ!!” みたいな感じで、あの時あったのは冷静な判断だとか将来の見通しではなく卒業するというどうしようもない高揚感だけで、簡単に言うとダーツを投げたようなものだった。

功を奏した。直感とか偶然というのはあながち悪くない。あるいは私の前世での行いがものすごく良かったか。

 

 

 

 

 

 

 

工事用のクレーンが赤く点滅する。

周りに人がいないのを確認したカップルがキスをする。私がいる。慎め。

白いタクシーと黒いタクシーが並ぶ。黒いのが若干はみ出ている。

信号の赤と青。はためく旗。

列をなすサラリーマンたち。揃いも揃って白い長袖に黒いズボン、ノーネクタイ。

外国人は相も変わらず美人ぞろいで、グローバル化万歳と唱える。

天気はきっと微妙だ。でも星の見えない大都会では晴れと曇りは同値だ。我らは自ら光り出している。

 

 

 

 

 

 

 

 

秋なのに夏休みで、そんな幻想も来週から始まる秋学期によってぶち壊されるであろう。

秋だ。

やらなければならないことがある。

やってくる。

 

 

 

 

 

九月

 

九月になった。

秋だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

“ほらあの人ってシャープペンシルの考案者だし”

街ゆくサラリーマンがさらっと言う。

 

“JRって何番出口…?”

市谷に不慣れな慶応ガールが尋ねる。

 

孫子くんも言うてるがな。『算多きは勝つ』”

本の中でゾウが説く。

 

“先生あのね、今日ね、お祭にお父さんと行くの”

今日も塾の女の子は可愛い。

 

“何をお探しでしょうか”

何も探していない私にファミマの店員が聞く。

 

“別に何もせんくていい。何とかなる”

そうか、そうなのか。

 

“へけ!!!!!!!!!!!!!”

そう言っていた全肯定のハム太郎はもういない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏は終わった。

勢いだけでどうにかなる季節は終わったのだ。

 

もうサンダルを履くためにネイルを塗る必要はないし、制汗剤を真剣に選ぶ必要もない。

でも馬鹿みたいに洗濯物が乾くこともないし、ガリガリ君がこんなに美味しいと思えるのもあと少しで。

 

悲しいなあと思う。

だって秋だ。私は誕生日が過ぎたらどうやって生きていけばいいのだろう。

まだハーゲンダッツを食べていない。冷たい生チョコケーキも食べていない。きゅうりの浅漬けは食べ足りないし、茄子の揚げ浸しはあと少しで大好きになりそうだった。

 

 

まだ暑い。今日の最高気温は32度だ。

なのにどうしようもなく秋だ。

 

木の葉とか、木漏れ日だとか、汚いお堀の水の反射とか、空に浮かぶ雲だとか、目に入るもの全てが “夏は終わりました!!!!” と宣言するでもなく、ただしんみりと、秋の訪れを告げているようで。

 

道行く人のサンダルが少し違和感を残して、汗ばみながらも長袖のワイシャツに袖を通す。

 

 

 

 

 

 

 

 

夏休みも残りわずかで、十代最後の一年が始まろうとしている。

“ほら、人生って暇つぶしだってパスカルも言ってたから〜” とか呑気なことだけを言ってられるのもあとわずかだ。

 

 

“自分、そんなことやから、『夢』を現実にでけへんのやで”

ゾウが言う。そっかと流す。近々せき止めなければならない日がやってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

紛れもなく、どうしようもなく、秋になっている。

何度でも言おう。秋だ。

 

新幹線では相変わらず    “アルミのことなら日軽金”   と流れていた。

読売新聞ニュースでは巨人が7-0でどこかに勝ち、オリックスがどこかに勝ち、楽天が負けていた。

 

それが平成最後の夏の終わりで、秋の始まりだった。

それが、夏と秋の境目だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

第三回帰京

 

 

パッとしないこの世界を変えよう

紙とペンでは描けないような

素晴らしい世界が待っているはず

 

 

 

 

 

 

 

 

帰省して7日。

ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、一人暮らしが懐かしい。愛おしい。

 

起きたらお昼になっていて、

とりあえずフルグラを食べてバイトに行って、

バイト頑張った!って思いながらスーパーで馬鹿みたいに買い物をして、

夜は寝ないで眠れない誰かと駄弁って。

 

最近になってようやく、 “一人暮らしってなんて楽しいんだ!!” と思えるようになってきた。

あとはトースターとコーヒーメーカーを買うだけだ。

素晴らしい未来が待っている。

 

 

 

それと同時に、 “帰省できる田舎があるってなんて素晴らしいんだ!” とも思っている。

 

この前妹の課題を数問やった。

あっ、方べきの定理だ。と思った。

 

 

 

 

地元の自分と東京の自分がいて、どちらも同じ自分のはずなのにどこか違っていて。

最近ようやく東京で地に足をつけて生活している気がする。

今までは浮いていたのだ。5階にある自分の部屋と、12階の研究室のことばかり考えていたせいで。

 

良くも悪くも、東京の私もちゃんと私らしくなってきた。

アップデートが完了したみたいに、あるいは、データの移行が正常になされたみたいに。

 

 

 

 

 

 

 

パッとしないこの世界を変えよう

紙とペンでは物足りぬような

素晴らしい世界があるはず

 

 

 

 

 

 

 

どうやら世界は変えるものらしい。変わるものじゃないらしい。

 

一年前、紙とペンで描いていたのは増減表だったけど、いま描くべきは建築物のスケッチで、世界は確かに変わっているはずなんだけれど。

もしかして私が変えてしまったんだろうか。

このiPhoneの変換が最近おかしいのも、私が世界を変えてしまったからなんだろうか。

あり得るかもしれない。

 

 

 

 

 

気づかないうちに変えることができてしまうような世界で、紙とペンで表せないような世界で、何をしようかなと考える。

こんな素晴らしい世界なら、きっと何をやったって素晴らしい結果になるに違いない。

好きなことをしよう。好きなことだけしよう。

素晴らしい未来が待ってる。

 

 

そんなことを考える帰路。

大学生活なんて本当にクソみたいだけど、でもこの上なく楽しくて、世界って素晴らしいなって心の底から思っている。

大抵のことはどうにかなるのだ。死ぬこと以外はかすり傷って言葉は、大体正しいのだ。

だからとことん楽しもうじゃないか。

 

 

 

 

読者諸賢よ。

楽しめるのはあと少しかもしれないということを忘れてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

パッとしないこの世界を変えよう

紙とペンでは描けないような

素晴らしい世界が待っている

[ %   mol-74

 

 

 

 

 

‎mol-74の"%"をApple Musicで