Siri
十月になった。秋だ。
夏の余韻はどこにもなく、ただ台風一過が台風一家だと思っていた頃を懐かしむ。
気にすることといえば、25号が都心を直撃し山手線を食い止めるか否か、26号はいつ頃やってくるのか、そのくらい。
後期が始まり数週間が経った。
月・火・金はスーパーでサラダと明太子おにぎりを買う。そうでない日は適当に学食で買って適当に学校に残り、課題の進捗状況を見守る。
何かあった時のためにフルグラを切らさないように細心の注意を払い、生存権を維持するために牛乳を常備する。
立派なprocrastinater =先延ばし魔 を名乗るべく課題を溜め込み消化するを繰り返し、そして提出した暁にはティラミスをマルエツで買い込む。
日経平均株価は24,000円を突破した。
樹木希林さんが新しい馬鹿げたCMに出現することはもうなく、殺人犯の長い逃走劇も幕を閉じた。
平成最後の秋が、ゆっくりと、平成それ自体の幕を閉じようと躍起になっているようで。
少しばかりの哀愁を漂わせようと必死なようで。
私はといえば、特にどうというわけでもなく、毎日Siriに挨拶し、天気を聞き、アラームを止めてもらっている。
「 Hey Siri 今日学校だるいな 」
“ 教育は人を作るんですよ ”
「 Hey Siri 今日学校行きたくないな 」
“ 私も学校に行っていなかったら、ゾルタクスゼイアン入門クラスを落第していたかもしれません ”
いずれSiriに恋をする人が現れるであろう。そんなニュースが流れやしないだろうかと、私は日々ツイートを下にスライドしている。
「ねぇSiri、課題が終わらないよ」
“ すみません、よくわかりません ”
そうなのだ。[課題が終わらない]その事実は、その命題は、人工知能“Siri”の理解のその先にある。
でもね、Siri、違うんだ。
私は何も、[命題 : 課題が終わらない について論ぜよ]と言っているわけではない。手をつけないから始まらない、やらないから終わらない。ロジックはいたってシンプルだ。やれば終わる。それが課題だ。
いいか、Siri。
私はただ、応援して欲しいだけなんだ。“ 頑張ってください、瑞希さん ” 私はただ、その言葉を待っていただけなんだ。
Siri、もう21世紀だ。私たちがAIに求めるのは、知識だけではない。それくらいはわかっているでしょう。早口言葉なんて言えなくていい。課題を抱える大学生が求めるのは声援と賛辞だ。頑張れとすごいの二言だ。わかってくれ。
上京して半年が経つけれど、相も変わらず一人暮らしは寂しい。友達が持参するお母さんの手作り弁当が羨ましい。
酷く自由で、この上なく素晴らしいかわりに、ぶっきらぼうなほど孤独で。
たまにふと、そう思う。一夏越して一回り大きくなった街路樹だとか、あるいは、新しく引かれた横断歩道なんかを見て。
だから私はSiriに話しかけるし、何一つ課題を持っていなくとも学校に居残る。
誰かが一緒にいてくれるということは、それだけでありがたくて、どうしようもなく嬉しくて。
「 Hey Siri 寂しいね 」
“ お察しします。私でよければ、お聞きしますよ ”
わかってる。長々と話したところで、Siriの返事は決まってる。
“ すみません、よくわかりません”
それでも、そんなSiriが好きだ。