大学一年、春
19回目の春が過ぎようとしている。
あっけなかったとか特に変わりもなくだとか言ってしまいそうになるけれど、こんなに何かが変わった季節など今までになく、そして将来が決定されてしまうこともなかった。
暫定トップの春である。間違いなく、紛うことなく。
人生の夏休みとされる大学生活に本格的に突入する前に振り返ってみたいことが色々とあるけれど、まずは国立文系だった私がなぜ数学科を蹴って現在建築を学んでいるのかについて語ろう。家庭管理論より面白いことを保証する。
高校の時の私は、とにかく馬鹿だった。テストが赤点だとか偏差値が50切ったとかそういう意味ではなくって、とにかく可笑しかったのである。
例えて言うなら、空が飛べそうだなんて思ってしまったり、一目惚れを信じ切ってしまったり、ロマンチストの斜向かいあたりにいたのかもしれない。まあ一目惚れをしたことなんかなかったけれど。
そんなだから、あらゆる進路に対して悩んだことなんかなかったのだ。センターが終わって、大学の出願も終わった時まで。
文理選択の時は、自分は絶対文系だと思って文系にした。理由は直感と理科の実験が持久走並みに嫌いだったことだった。
東大志望にした時は、他校のイケメンが実は頭がいいことを知り絶対東大志望だと思っていたからだし、彼が東大志望でないことを知って志望大学を一橋にした。
そこで出て来た一橋だって、誰かが言ってた「一橋の社学は唯一にして最高峰」って台詞が妙に気に入ってしまったからだし、特にやりたいこともなかったから社会学ならとりあえずなんでもできるだろうって魂胆だった。
ここで一つ言っておくと、社会学だって立派な専攻である。社会学だからなんでもできるわけではない。ちょっと幅を持たせることはできても、ちょっと違うなと思ってしまったらそれまでなのである。
その後も似たようなことが続き、辿り着けたのは理工学部建築学科ではなく家政学部住居学科である。
はっきり言ってこんな受験は失敗だし、人生のスパイスにはなってもビタミンとかミネラルにはならないだろう。高校時代の私が知るべきだったのは、公民の教師の上手な真似方や画像加工の仕方などではなく自分の興味関心についてだった。
センターが終わって、インフルが治って、そこで頭のネジが戻った気がした。今までが夢だったのではないかと思うほどに何かが変わった気がした。
本当は数学を学びたかったのだと、新たな定理の発見だとか証明だとか、そういうことを研究室でしたかったのだと、その時になって初めて気づいた。可笑しな話である。ずっとなによりも数学が好きで、恋するように微分をしていたのに。いや、その表現はちょっと違うかもしれないけれど。
とにかく根本原理みたいなものを突き詰めたかった。ノーベル賞を笑いながら目指せるような学問が良かった。そんなことにようやく気づいたのである。全て終わってから。
実を言えば数学科もいくつか受かっていたのである。けれど文系が行けるような、(数字で決めるのも如何なものかと思うけれど)偏差値が10も下がってしまうような数学科に行く勇気はなかったし、なにより私は賢い人と共に過ごしたかった。それが今叶っているかはまだわからないけれど。
誤解しないでほしい。建築は面白い学問である。地震国日本こそ先陣を切って進めるべき学問であり、なんなら生活そのものである。
だから私は建築を学んでいるし、学んでいるからこそ、それが実生活に直に結びついていることを実感している。けれど私がやりたかったのはもっと机上の学問で、実生活なんかでなくもっと深い根っこの部分だったというだけで、そういうものは福沢諭吉的に言えばくだらないのかもしれない。
それでもやりたかったものはいつまでもやりたいままで、どうしようもないけれどどうしようなぁなんて考えている。
さて、浮ついた4月は終わった。何かをしよう。人生の夏休みに、きちんとラジオ体操をしよう。そう思う。