馬鹿げた話
少し、馬鹿げた話をしよう。
夢の中の私は、なんだか無敵なのである。
好きな人に挨拶なんかしちゃったのを茶化されて、その友達に傘で見事なフォームのバッティングを繰り出してしまったり。
階段を駆け下りている時には好きな人とのすれ違いざまに「ごめん!100円返してないけど持ってないや!」って叫んでみたり。
クラスが同じになった友達を食堂で見つけて、エルボーしたら全然違う人だったりとか。
住む場所を追い出された友達を車に乗せて、荒野を激走してみたり。
ものすごい俊敏性でドッヂボールの球をかわしていたり。
はたまた、いわき駅でほんの出来心からゆりかもめに乗ってしまったり。
この上ないほど馬鹿馬鹿しいけれど、どうしようもなく無敵なのである。
馬鹿と天才は紙一重だと言うけれど、馬鹿と無双も紙一重だろう。馬鹿は強い。最近そんなことを思う。
大学受験が終わって、私は前ほど馬鹿ではなくなってしまった気がする。もちろんジョークとかトンチを前より効かせることは出来るけれど、あの時みたいな馬鹿げた日々はもうやってこないように思う。
もう京都駅でカップルの間を駆け抜けようとはしないし、好きな人めがけて廊下を駆け抜けようともしない。
その代わりに、そんなことがあったのも思い出さなくなってしまう代わりに、テイラー展開をしてオイラーの公式を導いたりするんだろう。ちょっとだけ賢くなってしまうんだろう。
良くも悪くも、大人になっていく。お酒の力を借りるなりなんなりして、失った馬鹿馬鹿しさを取り戻そうとしたりするけれど、どうしても賢くなってしまう。
諸君よ、聞いてほしい。
賢いのはいいことだ。とても好きだ。でも馬鹿げたことはなによりも素敵で、愛すべきことだと思う。だから大の大人がどこかを駆け抜けていたら、それは正解なのだ。愛すべき大人だ。是非、そんな大人になりたいと思う。
スーツにヒールでバズーカを持ちながら、国際フォーラムでも駆け抜けているような10年後にしたい。そう思う。