深夜1時
深夜の1時に思うのは、寝なきゃいけないなという事と、寝たくないなという事である。
寝なければ明日はやってこないのではないかと、そんな微かな期待を膨らませてしまう。
いや、わかってはいるのだ。
寝なくたって明日は来るし、明日を、特に明日の朝を気だるいものにしてしまう原因はまさに今ここにあるという事は。
そして今一番すべきなのは、眠い目をこすってないでさっさとシャワーを浴びて寝ることだという事も。
けれどこうなったらどうしようもない。そんなこともわかりきっている。
だからちょっとは有意義な時間を過ごすために、NAVERまとめくらいのクオリティで話をしよう。
最近、まさに絶望という感情を抱いた瞬間ベスト3を発表したい。
1 東洋思想に間に合わないと気づいた時
2 国際関係論をサボろうと思ってしまった時
3 炎天下の中テニスの授業に出席してしまった時
これが絶望かと思った。これが五月病なのかと知った。
やる気というものが枯渇している上に、上記事項に全く関係ないけれどたぶん寂しいのである。家から出たくないし、でも誰かに会わないと死にそうで、しかし授業なんかに出たらこの世の終わりが訪れるのではないかと思ってしまう。
いや、知っている。安心してほしい。わかってはいる。
そんなことはない。
私が外に出て、授業に出席したくらいで訪れる終末なら、さっさと来てしまった方が世の為だ。
そして今気づいたことは、もうすぐ2時になるということと、もうすぐ五月が終わってしまうということであるけれど、同時に五月が終わったからと言って五月病がスッと治るわけではないのだろうということを悟りつつある。
きっと明日起きたら2限が始まってしまっていて、そのままズルズルと3限の体育は4限が空きコマだからという理由で行く気が起きず5限の情報は家でやればいいかなんて思ってしまうんだろう。
よくない。本当によろしくない。
けれどきっと、どうしようもないのだ。
もし明日の朝起きて鏡を見たら橋本環奈が写っていたりしない限り、私は明日学校にすんなり行けないだろうし、行ったとしてもどこか物足りなさがあるだろう。
それならば早々に割り切って、友達に「橋本環奈にも佐々木希にもなれてなかったので休む」というメールを送ってガストのモーニングを食べに行こう。そんな考えもある。
起きてみないとわからない。こればかりは博打な気がする。
なんせ私は明日のお弁当まで作ってしまっていて、行く準備だけは万全なのである。気持ちが追いついていないだけで。
そして明日提出の課題はない。楽しい授業もない。
深夜の2時半前、学校<ガストという不等式が輝く。
こんなことではいけない。でもせめて五月中は、許してほしい。だって五月だから。
さて、もう寝よう。
とか言いつつも、私はシャワーを浴びた後、DSを起動させて半年ほど放置した村を見回るだろう。DSの設定時間をいじって駆け回って、気づいたら朝になってしまうんだろう。
モーニングコールをしてほしい。そんなことをふと、けれど切実に思う。