都電有楽町線

大学生が徒然なるままにつらつらと。

全力疾走

 

時折、真っ赤なリップで全力疾走する。

 

 

街路樹の緑と唇の赤のコントラスト。

信号との駆け引き。

そしてどうしようもない爽快感。

 

 

春の終わりにふさわしく、夏の始まりにふさわしい。

きっとどの季節でも、どの時代でも、どこかを駆け抜けるという行為はその瞬間にふさわしいように思う。

必要事項ではないけれど、でもきっと、物足りなさを埋める一つの条件なのだ。

 

 

 

 

さて、シューベルトの『野ばら』と『ます』を空きコマに聞いていたのだけれど、あれはまさに私の全力疾走のBGMだった。

 

なぜそんなことになってしまうのか、毎回毎回解決しようともしない疑問が浮かびつつ、私はいつも閉まる直前の電車に飛び込んでいた。

定期を改札に突っ込んで、「次の電車をお待ちください」という悠長なアナウンスに「あなたは次の電車が一時間以上後だということを考慮すべきなんじゃないかしら」と突っ込んでいたのが、私の高校生活の主な夜である。

 

 

 

Suicaではない、まさに定期“券”を改札に入れる角度、それを取る手のモーション及びタイミング。

 

 

 

経験から述べると、三ヶ月でなんとなく上達し、半年も経てばもはやプロである。

殿堂入りを果たしてから約二年後の今、その技術を発揮する場面は混雑したコンビニで颯爽とレシートを受け取る瞬間くらいしかないし、それはつまり漢文の次くらいに役に立っていないということだけれど、この先数十年間酒の肴にはするだろう。

そういう意味では梶川古文くらいの価値がある。

 

 

 

 

思えば、一年前と比べて全力疾走をする機会はめっきり減ってしまった。

 

高校生と大学生は、決定的に、絶対的に違うのだ。

 

真っ赤なリップの女子大生は、アナウンスにキレながら帰りの電車に飛び乗ったりしないし、Suicaのタッチの仕方一つに思考を巡らす暇はない。

そして本当に大事な時にしか、全力疾走なんてしなくなってしまう。

そんなことないと、結局大学生になっても変わらないと思っていたとしても、どんなに馬鹿でアホでも、制服を着なくなった私たちは日常的な駆け込み乗車を実施しなくなる。

 

 

 

時たま走り出した瞬間に、そんなことを思う。

 

女子高生という肩書きは、きっとこの上なく特別で、そんな時期に定期券の挿入方法なんか考えるべきではなかったのかもしれない。弾けるような青春を送るためには、全力疾走の行き先が駅の改札ではいけなかったのかもしれない。

けれども私は、そんな三年間を少し気に入っている。まさに青春と呼ぶべき三年間であったなら「“とても”気に入っている」だったかもしれないのは否めないけれど。

 

 

 

もうすぐ梅雨がやってくる。

梅雨入り前に、何かがしたい。漠然とそんなことを考える、月末の月曜日。