都電有楽町線

大学生が徒然なるままにつらつらと。

2019

 

 

長い12月が終わり、新年が来た。

あけましておめでとう。今年もご愛読のほどよろしく。

 

 

 

 

 

今年二十歳になるということを母に伝えたら「あら、20年もののワインなんてすごいわよ、よく熟成されていて」と言っていた。人の歳をワインの熟成具合と比較するのにはまっているらしかった。

まだ19の私たちは青々としている。ワインと違って。

 

 

 

 

 

 

 

特急を待っている時、反対のホームの端に人がいた。幸せそうなカップルだった。電車の止まらないそこに私は行ったことがあっただろうか。

一本前の広野行きは数分前に発車したばかりで、彼らはこの後小一時間おしゃべりするんだろうなと思った。素晴らしい正月のあり方だった。

 

 

 

この電車は、土浦駅にて発生した事故の影響で、6分ほど遅れての発車となっています。お急ぎのお客様には誠にご迷惑を……

 

気づけば駅と駅の間隔は狭まって、駅前は光で溢れるところまで来ていた。帰ってきたぜ東京。

 

本日も特急ひたち22号をご利用いただきありがとうございました。まもなく、上野、上野です。お乗り換えのご案内を……

 

 

 

 

あと数分で東京駅に到着して、二十分と経たないうちに四ツ谷駅に到着する。悲しさ溢れる四ツ谷駅

四谷は相変わらず東京だった。どうしようもなかった。四ツ倉駅がいわきにあるのと同じように、四ツ谷駅は新宿区と千代田区の境にあった。

 

 

 

 

四谷は2018年上半期の舞台だった。

 

2月上旬、TEAP利用で受けた上智は救いようのない結果だった。私はマーク式の数学が筆記の偏差値と比べて20ほど下回ることをきちんと考慮して私大の受験に望むべきだったのだ。きっとなんらかの能力が欠如しているに違いない。

受験に向かう朝、横断歩道が欠けていた。中途半端に作業が終わっていた。

 

1週間後、真新しい横断歩道があった。私が初めての通行人かと思うほどに白かった。そのあたりで、第一次選抜合格者一覧に自分の受験番号がないことを知った。

失恋みたいだと思った。

 

二月半ば、御茶ノ水から水道橋まで歩いた。パラソルのようなものが上下するアトラクションを眺め、スタバの店員に絡まれ、それでも手持ち無沙汰だった。

「ようしゃべる子やなぁ」そんなことを言われた。

 

 

 

 

 

 

 

一年前、まさか一年後がこうなっているとは思ってもみなかった。けれど残念なことに私は元気に、それなりに満ち足りた生活を送っている。

考えてもわからないことだらけで、考えようもないことが溢れている。けどきっと人生は夢だらけで、少なくとも人生は今日の連続だった。そんな歌がどこかにあった。

 

 

 

吉と書かれたおみくじによれば、待人は遠くないうちに来るらしかった。棚の上には相変わらず入門微分積分複素関数論が並んでいる。

ちゃんと何かが終わって、代わりに何かが始まればいいと思った。なぜか知らないけれど、四ツ谷駅で信号を待っている時、いつも決まってそんなことを考えている。

 

 

 

 

 

 

 

何はともあれ、世界は2019年で、私は19歳だった。

昔から1と9が好きだ。誕生日が9月11日だからかもしれないし、しかも西暦1999年で平成11年だからかもしれない。

1と9というカップリングも最高だった。足せば10になる。お互いを過不足なく補っているところが素敵だ。

 

 

2019=3*673

エス誕生からイスラム勢力がコンスタンティノープルを包囲する頃までを3回分。

 

 

西暦が素数になる前に、元号素数になるらしかった。最も小さい素数2。愛すべき数字だ。

 

 

 

 

 

 

 

本当は待人なんて来なくて構わないのかもしれない。今のところ、誰かにお裾分けしたいくらいに幸せで愉快な毎日を過ごしている。十分だった。

餃子パーティーを開催する友達もいるし、旅行の日程だけ決めて帰る友達もいる。授業中に早弁をして投げキッスをしてくる奴もいるし、酒に弱くて褒めちぎってくれる奴もいる。

祝福したいくらいだった。拍手だけしてみた。 

 

 

それが、2019年の幕開けだった。

 

 

 

 

 

たとえば、ゆるいシアワセがだらっと続いたとする。きっと悪い種が芽を出して、もう、さよならなんだ。

‎ASIAN KUNG-FU GENERATIONの"ソラニン"をApple Musicで